2000年11月30日木曜日

資産の活性化が日本再生の鍵

米国大統領選挙での大接戦はいろんな意味での国の二分化を示すものとして暗示的だが、そのひとつに富の二分化がある。今回の選挙の両党の得票者を所得階層別に分類したデータによると、年収5万ドルを境として収入が高いほど共和党への投票者が増え、逆に収入が低くなるほど民主党への投票者が増えるというきれいな対照性が観察できる。米国では上位1%の富裕層が株式全体の48%を保有しているが、この格差は更に拡大する傾向が見られる。

しかしこの富の格差が近年の米国経済の急拡大の原動力ともなっていたことも事実である。資本が集中することで、投資活動がより専門的でリスク許容度の高いものとなり、それが90年代の勇猛果敢な新規分野への投資と米国経済の大躍進に結びついた。

それに対し日本は、伝統的に平等を重んじる社会である。富の格差はきわめて小さい。上位一割の階層が所有する金融資産は全体の38%に過ぎず、上位1%の階層が株式の48%を保有するアメリカに比べて遙かに平等だ。更にこの格差は縮小する傾向にある。今年の国民生活白書によれば90年代を通じて日本人の資産格差は着実に縮小してきたとのことだ。

背景にはバブルの崩壊がある。90年代で日本国民が失った土地と株式の資産総額は1200兆円という。種々前提をおいて推計すると、日本の上位中産階級(上位一割の世帯、約400万世帯)は一世帯あたり4000万円の損失を被った計算になる。これは格差の縮小につながったが、同時に国民の投資活動を萎縮させ保守化させる結果にもなった。一方で、長期にわたる不況にも拘わらず勤労者所得は実質では目減りしていない。一人あたり実質GDPは90年比で約12%上昇している。失業率も5%以下だ。だから国民の危機感はまだまだ希薄で、構造改革は進まず、経済は停滞したままだ。

日本においては、ほとんどの国民は勤労者であると同時に資産家でもある。90年代を通じて日本国民の「資産家の側面」は大いに痛めつけられ、逆に「勤労者の側面」は過剰に保護されてきた。高齢化、少子化を迎え経済の生産性上昇が喫緊の課題となっている。そのために資本の有効利用と積極的な投資活動が決定的に重要だ。国民の「資産家の側面」を活性化させる政策が21世紀の日本の経済再生の鍵を握る。

(橋本尚幸)

2000年10月11日水曜日

21世紀の総合商社

2000/10/11

総合商社とは簡単そうで複雑である。


通産省の貿易業態統計調査によれば日本に貿易業者は11843社あるという(平成5年度調査)。その大部分が中小業者であるが、その中で10社足らずの貿易業者が突出して大きく、総合商社と呼ばれている。

欧米にはない企業形態。欧米では貿易商社はあるが特定品目に特化するのが通常で、日本のように総合的にラーメンからミサイルまで取り扱うことはない。日本は欧米のまねをしながら経済発展をしてきたので欧米にない企業形態を持つ総合商社の存在というものに対して何となく居心地の悪い思いをしてきた。

それが総合商社に対する評価にも現れている。ある時は日本の経済発展の原動力、日本の秘密兵器と持ち上げられ手放しに評価されるときもあった。ある時には逆に商社は不要であるとか、斜陽であるとか、極端には「諸悪の根元」であるとか過小評価された。

時代の節目節目で総合商社への評価が変わった。評価にふれが大きかった。

21世紀を目前に控え、今日本は再び時代の節目にある。今再び総合商社というものに対する期待と不安が錯綜しているように思う。21世紀総合商社はどう生きて行くのか考えを述べたい。

商社の歴史

古い歴史をもつ商業(商社の基本形は普遍的で不滅)

商業とは古い歴史を持つ業種である。古くは縄文時代にすでに黒曜石の全国規模の交易が為されていたようだ。総合商社とは商業交易に従事する産業と考えれば決して特殊なものではない。歴史のある職業である。ちょっとやそっとの事でぐらぐらするようなものではない。

最も総合商社が現在のような総合的国際的な企業組織として大きく発展したのは明治以降である。長い歴史のある商人としての活動から大きな組織として動く「商社」への大きく変身していった。

商社変身の背景(社会のニーズへの対応)

その背景には社会のニーズがあった。近代社会へと脱皮を図る明治の日本社会と産業は彼らに足らないものをどん欲に商社という生まれて間もない国際企業に求めた。商社は賢明に彼らのニーズに応えるべく努力をして提供機能を増やしてきた。社会のニーズに応える形で商社は巨大化してきた。

戦後、日本は大きく変わったが、経済産業の発展の基本パターンは基本的にこの構図であった。

ある時は貴重な外貨を稼ぐために輸出の尖兵として、ある時は日本産業に欠乏していた技術と設備を海外から導入する代理店として、ある時は資源開発者として、非鉄資源原油の開発に邁進し、ある時は流通革命を担い、ある時は企業の海外進出のパートナーとして、そしていまITI革命の先方として日本の総合商社は活躍してきたのである。それらはすべて時代のニーズに応え、またニーズを先取りして提供機能を作り上げたものである。

プロダクツライフサイクル

製品にプロダクツライフサイクルがあるように商社の提供機能にも成長と衰退がある。

商社が時代時代で提供してきた機能も、その一つひとつを取り上げると、時代時代で浮き沈みがある。しかしそれら商社が提供してきたサービスと機能は、提供当時はたいへんなニーズがあったものであるが今やその意義を低めてしまったものが少なくない。

でも商社にはその提供機能が(提供能力が)形を変えて残っている。完全にはやめてしまったものはない。それら無数の「新規開発機能」は役割を終えた今でも総合商社に蓄積され積み重なっている。

それこそが日本の総合商社を世界でも類のないものとしている特徴に他ならない。機能の総合性である。

こういった外延一辺倒の拡張主義が「総花主義」とも批判された事も事実である。しかしこの総合性にこそ日本商社の特徴がある。世界の誰もまねのできない強み戸もなっている。

21世紀に向けて総合商社は?

結論的に行って21世紀は総合商社の時代になると思っている。商社は従来からの基盤をベースとしながら再び新たな機能を社会に提供し、変身し日本産業の新たな発展に寄与していく。さもなければ生き残る資格はない。

21世紀に商社が新たに提供していく機能とは何か?それはITであり、FTであり、LTであるのだ。

それに加えて商社の伝統的機能である「商業」へのニーズが再び高まるものと考える。今日yそうがすす店日本企業の戦略的資源の選択と集中がまだまだ進む。企業が今までインハウスでやっていた作業工程がどんどん外部化される時代になる。取引の発生であり企業間取引は幾何学的に増加する。それを仲介するのが賢い効率的な商社の仕事。21世紀は卸売業が再び脚光をあびる時代になる。機能のない介入は排除されて当然。競争力のある商社が安くて優れた仲介サービスを提供するのだ。無限のフロンティアがある。

なか向きされる仕事は中抜きされて当然。言いたいことは取引の絶対量、トータルのパイが増えることである。

すべての産業分野にコンタクトがある商社の総合性がこの場合の強みとなってくる。

投資会社としての商社の変身もある。商業とは組み合わせである。フォーメイションである。オルガナイザー機能。その中で不足する部品があれバッジ分でそれをつくる。商社の事業会社、投資会社としての性格である。それが隙間を埋めていく。

おわりに

戦後のある機関、大量生産大量流通がもてはやされ、商社の卸売業者としての地位が陳腐化したかのように見えた時期もあった。しかし今や生産車種道の大量生産大量流通の時代は終わった。需要か消費者の意向がもっと前に出てくる時代である。需要家のニーズを仲介する問屋に、古い産業であるが、21世紀再びニーズが増し、問屋が脚光をあびる時代になる。

いい意味での商人に徹して社会に貢献することが大切だろう。

2000年10月1日日曜日

企業と倫理と集団と個人

アリを注意深く観察した人によるとせっせと働いているかに見えるアリの群も本当に働いているアリは全体の2 割にしか過ぎず残りの8 割のアリはほとんどさぼっているとのことだ。全員を働かせようとして働くアリだけの群をつくっても結果は同じ事でその中の8 割がまた怠けはじめるらしい。逆に働かないアリばかりを集めると今度はそのうち2 割が働き出すという。「群」の本能なのであろう。

自然の摂理であるならば人間社会にも当てはまるかも知れない。でも人間はアリより頭がよいのでこの2 割という数字を少しでも引き上げて全体の生産性を上げるべくいろいろ工夫がなされてきた。ひとつのやり方は単なる「群」を組織化し規律を高めひとつの目標に向けて邁進する運命共同体化するものだ。

これはどうも最初はユーラシア大陸の軍隊ではじめられたようで、ローマの亀甲歩兵軍団は、その組織力とチームワークでヨーロッパ全土を制覇した。ベンガルのプラッシーでは、整然と隊伍を組んだイギリス東インド会社軍は、人数は数倍だが烏合の衆に過ぎなかったムガール軍を殲滅しイギリスのインド支配を確実にした。日本においても、個人プレーしかできない鎌倉武士団は集団戦法を採る元軍に全く歯が立たず危うく征服されるところであった。

なぜ組織化された軍隊は強かったのか。国際政治学者の亡き高坂正堯によれば、密集隊形をとる軍隊の強さの秘密は兵士達が決して「大義」などという高尚な目的の為ではなく「肘と肘を付き合わせドラムの響きとともに前進する隣の仲間を裏切らないため」だけに超人的な勇気を発揮するからだそうだ。つまり集団主義のドライビングフォースはまさに組織体と仲間への忠誠であり、それは正義とか倫理などの普遍的な価値観より優先されるということなのである。

ここに問題が生じる。この点をいちはやく指摘したのが夏目漱石である。漱石は「私の個人主義」と題した講演(大正3 年、於学習院)のなかで「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いものである」と述べ、人間は集団となるとどうしても徳義心を失いがちであるからこそ個人主義が重要であると説いたのだった。

昨今のたび重なる企業不祥事は社会に企業倫理の問題を提起している。多くの企業でコンプライアンス・システムの制度化が検討されているが、集団の本質に触れた漱石の指摘は傾聴に値するだろう。漱石は続いて、この集団主義と個人主義という二つの主義は矛盾するものではないとも話している。しかし「この点をもっと詳しく述べたいのだが時間がない」とそれ以上は論を進めなかった。その後すぐ漱石は死んでしまったので我々は「もっと詳しく」聴けないままでいる。だから我々は自分たちでこの「解」を見つけるべく努力しなければならない。

(橋本尚幸)

2000年9月1日金曜日

まず身近なところから国際基準にあわせよう

暦では9 月7 日は「白露」といい、この頃から秋気が漸く加わるとされる。9 月に入っても気温が38 度近くまで上がることもあるが、ちょっとした涼風に秋が忍び寄ってきている気配を感じる時もある。夏をようやく過去形で語れるようになってうれしい限りだが、今年の夏は本当に暑かった。気象庁が発表した6 -8 月の気候統計によると、この夏、最高気温が30 度を超える真夏日が56 日もあり、熱帯地方さながらの記録的な猛暑であったという。

わけてもサラリーマンにとってたいへんだったのは朝の通勤だった。朝の太陽はすでに高くぎらぎらと人々を焦がし会社に着く頃には汗でハンカチはぐっしょりと濡れて気力ももうぐったりである。なぜ朝からこんなに太陽が高いのか。理科年表で調べてみると東京地方では午前3 時台にもう夜明けが始まる(6 -7月)。朝、会社に向かうときには夜明けからすでに5 時間程度経過しているのだ。太陽が高く暑いわけである。

先進国のなかで夏時間を導入していないのも日本だけだ。涼しいうちに会社に着けるよう夏時間の導入を真剣に検討してはどうだろうか。日本の諸制度をグローバル基準にあわせることが課題になっているが、こういう身近なところからまず始めて欲しいと思う。

国際標準に合わせる必要がある身近な問題はほかにもたくさんある。日本の都市景観もそうだ。特に空中に張り巡らされている無数の電線と無遠慮に林立する電柱は都市景観を著しく醜いものとしている。日本の社会資本ストック(残高)は一人あたりで先進国中ダントツだが電線の地中化では先進国はおろか発展途上国にも立ち後れたままだ。

日本のオフィス環境についても然りだ。一人あたりのスペースが非常に狭い。最近インドからIT 関連技術者がぼちぼち東京にやって来つつあるが、彼らは日本の狭くて劣悪なオフィス環境に仰天しているという。欧米先進国に範を求め日本の後進性を罵ることが本意ではない。

問題としたいのは、大多数の日本人がこういった問題をそれほど深刻には受け止めていないということである。「夏時間で明るいうちに家に帰れば亭主のこけんに拘わる」とか「電柱が無くなれば犬が小便するときに困る」とか「狭い事務所のほうが社内のコミュニケーションが良くなる」とかいう。しかしこういった小さなローカル性が日本を魅力のない孤立した国にしていることは認識されるべきだろう。

魅力のない国には人は集まらない。人が集まらなければ21 世紀の経済発展もない。日本の諸制度をグローバル基準に合わせることはもちろん大切であるが、こういった身近な生活環境から国際基準にあわせていくことのほうがより意味のあることのように思える。

(橋本尚幸)

2000年8月1日火曜日

グローバルスタンダード経営は日本企業を強くするか

株式会社に関する商法の規定の抜本的な見直しが検討されている。具体的には株主総会や取締役、監査役といった企業統治(コーポレートガバナンス)の在り方の見直しなどが柱だ。法務省では2年後をめどに法改正を目指すという。また経済同友会の企業経営委員会でも昨年来この問題についての検討が続いており年末には提言にまとめられる予定だ。あたかもよし。企業経営の目的は何か、企業経営はどうガバナンスされるべきか。この古くて新しい問題を取り上げてみたい。

最近の経営理論によれば企業は株主の利益のために存在するという。だから株主の立場からの企業経営者へのガバナンスを強化するべきでこれがグローバルスタンダードだとのことだ。確かに明快きわまりない。この数年の米国企業の力強い活躍ぶりと日本企業の低迷ぶりを見せつけられていると、この主張には説得力があり、簡単には反論しがたい雰囲気がある。けれども大多数の日本の経営者、従業員は、理屈はともかく、この理論には何かついてゆけないもの(違和感)を感じているのではないか。この違和感はどこから来るのか。

例えば「企業の目的は株主価値の最大化である。仕入先、従業員などのステークホルダーズへの報酬はあくまでも市場原理にもとづく利害調整にすぎず、これは経営目的とはならない」という。でもそもそも日本社会において企業とステークホルダーズの間に「市場」が存在するのだろうか。原材料とか所要資金とかの財・サービスには市場が存在するとしても労働力については市場はきわめて不完全である。転職は簡単ではない。また日本の労働者、従業員の勤労目的がどこかの国のように100 %経済的報酬の獲得だけにあるとも考えにくい。「意気に感じて働く」というタイプの従業員がまだまだ多いのである。

環境などの外部不経済については市場自体存在しない。日本ではステークホルダーズとの利害調整に市場原理が働かない(もしくはきわめて働きにくい)のである。前提が違う。よってこれらのステークホルダーズとの利害調整については経営者が個別に対処して行かねばならない。経営目的のひとつとならざるをえない。

経営者に対するガバナンスの強化についてもそうだ。グローバルスタンダード論者は独断専行に走る経営者を排除するためにガバナンスの強化が必要という。でも最近の日本経済の低迷を考えると、この状態からの脱出に必要なものはむしろもっと強力な経営者のリーダーシップではないのか。ガバナンス、ガバナンスといって「カバナンスを効かせたがその結果会社がつぶれてしまった」では笑い話にもならないのである。

企業は社会を構成するひとつの組織である。企業の所属する社会の特性に応じて企業の形態も異なってくる。さもなければ競争力を失う。日本社会はゆっくり変化しており、今はざかい期にある。その日本の現状にあわせ選択制の採用など現実性のある企業統治の在り方が議論されるべきだろう。

(橋本尚幸)

2000年7月1日土曜日

一年で激減した日本の対外純資産残高の謎

最近の日本では景気の悪い話ばかりが続くので少々の悪いニュースでは驚かなくなっているが、6 月に発表された99 年末の本邦対外資産負債残高統計には文字通り驚倒してしまった。昨年一年で日本の対外純資産残高が一挙に36 %、額にして49 兆円も減少してしまったというのである。これは一体どういうことか。

対外純資産残高というと日本が外国に対して保有している資産総額から外国に対して日本が負っている負債総額を引いたものであり、いわば日本国民の貯金である。60 年代から日本の経常収支の黒字を毎年こつこつと積み上げて98 年末にはようやく133 兆円にまで育ったものだ。日本が高齢化社会を迎える将来、高年層を養うために大きな助けとなると頼りにしていたもので、まさに虎の子の貯金であった。それが一挙に4 割近くも減った。これほどまでの大幅減は過去になかった。理由を確かめねばならない。

日本銀行によると、対外資産負債残高の基本的な増減要因は、99 年中の財サービスの貿易収支、所得収支と移転収支の合計である経常収支であるが、これは12 兆円のプラスに働いた。しかし円高による外貨建の純資産の評価減が22 兆円発生した。さらに本邦株価の大幅な上昇で日本の負債の時価評価が増加したことでここでも大きな評価損が発生し、合計では経常収支の黒字を大幅に上回る損失となった。その結果、対外純資産は49 兆円もの大幅減少となったということである。

要は、経常取引ではコツコツと黒字を積み上げたのにも拘わらず為替と株で大損をして稼ぎが全部なくなった上に資産を食いつぶしてしまったという話で、まことにお粗末な話だ。

もう少し具体的に中身をみてみたい。切り口を変えて、49 兆円の純資産の減少の内訳を、直接投資、証券投資、貸付残高、借入残高などの項目別にみてみると、純資産減少のほとんどは証券投資、なかでも株式投資の減少(45 兆円)で説明できることがわかる。株式投資をさらに資産・負債に分けてみてみると資産(日本人の外国での保有株式)は5 兆円しか増えていないのに拘わらず負債(外国人の日本での保有株式)は50 兆円も増加していることがわかる。外国人投資家の日本における株式運用実績はTOPIX の上昇をはるかに上回るものであった。また証券投資のなかでの株式比率が外国人投資家では高く、日本人投資家では低かった(逆に債券比率が高かった)ことも大きな運用実績の差につながったようだ。

結論的にいえば、日本国民は日夜残業して働き、財サービスを輸出し資産を築きあげたが、資産を運用する投資家の国際競争力に彼我で大きな差があったために、せっかくの資産もあらかた失ってしまったということである。アリの蓄えをキリギリスが奪ってしまったかたちだ。これを繰り返さないためにも、日本人はもっと投資に強くならねばならないと身にしみて感じた次第である。

(橋本尚幸)

2000年6月1日木曜日

景気対策の既成概念を問い直すとき

「人間は常に過去に学んだ経済理論の奴隷である」とは、古くさい経済理論への思いこみをいさめた警句であるが、日本の景気対策をめぐる議論を聞くにつけ、今さらながらこの言葉が思い起こされる。

いま日本で景気対策について為されている議論とはだいたい次のようなものだ。曰く「景気の回復感が今ひとつ感じられない。景気対策が必要だ。一方で積み上がる財政赤字はゆゆしき問題だ。しかしいま財政再建に手を着けると、ただでさえ弱い景気を更に冷やすことになる。それは経済理論が教えるところだ。経済学の教科書には、Y (GDP )=C (消費)+I (民間投資)+G (公的支出)とある。Gを減らすと同じだけY は減るので景気は悪くなるのだ。よって財政改革は景気が十分に良くなるまで待たねばならない」というものである。

この理屈は簡単であるだけに説得力があって、いままで財政再建は先送りにされ、ゼロ金利とともに公共事業中心の景気対策が継続されてきた。でも一向に自律的な景気拡大は始まらず、財政赤字は信じられないほどの大きさにまで拡大してしまった。今月発表された国際決済銀行(BIS )の年報はこの点を鋭く批判している。日本経済の低迷の「ただ一つの最も深刻な構造問題」は「弱い個人消費」であると指摘し、さらに「このままのペースで財政赤字の拡大を続けることは不可能(アンサステイナブル)」と、景気対策による政府財政の悪化が、雇用や年金受給に対する不安を強め、個人消費を萎縮させているとの見方を示している。

どうやら、いままでわれわれが正しいと信じて疑ってこなかった教科書そのものを問い直すべきときが来ているらしい。その意味で今般発表された富士通総研の絹川真哉氏による分析がとても興味深い。絹川氏は「構造的時系列モデル」という一般的な需要モデルに替わる新しいツールを使って日本において財政再建が短期的にも景気を刺激する効果があることを明らかにしたのである(FRI 研究レポート、May2000 )。われわれはこの研究成果を歓迎するものである。われわれ生活者の実感にきわめて近いものであるからだ。

多くのアンケート調査でも消費者の多くが消費支出抑制の理由として雇用、年金受給などにおいての将来の不安をあげている。将来不安が続く限り節約し貯金すること以外に何が自分の老後を保障してくれるというのか。国民がそう思えばこそ、一向に個人消費は伸びず、逆に実質値ではこの数年大きく減少し続けているのである。景気がいつまでたっても起爆しない根本的な理由はここにある。

いままで長い間、政府は在来型の景気対策を続けてきた。われわれはじゅうぶん待った。理論的な裏付けも、国際的機関からの外圧という大義名分も整った。「押してもだめなら引いてみな」という唄もある。いまやゼロ金利から脱却し財政再建に取り組むことことを考えるべき時ではないか。ひょっとしたら景気はいっぺんに良くなるかも知れない。「熱田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ、今は漕ぎ出でな」(額田王)

(橋本尚幸)

2000年5月1日月曜日

商社マンと異文化交流

春といえば人事異動の季節だが、これはいつも悲喜こもごもだ。海外への異動にしても、気候が良く文化の香り高い先進諸国へ赴任する人もおれば、灼熱の太陽に焦がされる砂漠の国に往く人もいる。もちろんそういうところが好きな人もおり、そのへんうまく調整すればよいのではあるが、これもなかなか難しく、赴任地が本人の個人的趣味と希望に一致している場合はむしろラッキーで、多くの場合なかなかそうは行かない。海外ポストの公募制も議論されるが、一刻を争う機動的なビジネス展開を命とする商社においては、これも現実的な選択肢ではない。よって多くの場合、商社マンは辞令を手にし、希望と使命感と、それに多少のフラストレーションを胸に抱いて任地に赴くことになる。

ほとんどの場合、赴任すれば自分の任地が好きになるが、少数ではあるが、自分の任地が最後まで好きになれない人もいる。こういう人たちに是非読んで欲しい本が、キャサリン・サンソムの『東京に暮らす 1928‐ 1936 』(岩波文庫)である。著者は昭和の初期に日本に滞在したイギリスの外交官夫人だが、当時の日本は軍国主義への道をまっしぐらに進みつつあり、外国人女性にとって決して住み易い環境ではなかったはずだ。それにも拘わらず、この本は驚くばかりに優しさにあふれた記述に満ちている。

「日本人を理解する唯一の方法は、他の国民を理解する時と全く同じで、まず相手に同情をよせ、そうしているうちに相手が好きになることです」という。実に参考になるではないか。実際、彼女は日本について多くのことを理解するようになる。例えば施主と職人気質の植木屋の不思議な関係のなかに、日本の権力構造の特殊性を発見する下りがあるが、鋭い。また日本における「個の自由」と「集団」の関係についても深い観察がある。夫人は注意深く言葉を選びながら、「個の自由」を優先するというイギリスの価値観のほうが、多くの社会的コストを伴うものではあるが、より優れているとはっきり述べる。さらに日本もやがてはその方向に変化していくであろうと示唆する。

文章に格調があり、観察に幅と深さがある。良著である。サンソム夫人の予言通り、戦後になって日本人は個人の自由を手に入れた。しかし最近、若者たちによる信じられないような事件が立て続けに起こり、人々は戦後の価値観そのものにも不安を覚えはじめている。集団から自由になった若者が、それに替わる新しい価値基準をいまだに見いだすことができず、袋小路に入り込んでいるのだ。しかしサンソム夫人がいうように、イギリスにおいてすら個人の自由を得るためには多大の社会的コストを支払わねばならなかった。このコストを恐れるあまり、真に大切なものを否定することはあってはならない。

(橋本尚幸)

2000年4月2日日曜日

教育改革に向けて国民的議論を期待する

小渕首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が発足し、一年後を目途に提言をとりまとめることになった。教育問題はまさに国民的な関心事だ。閉塞感が漂う現代日本の諸問題を突き詰めて行くと、多くの場合、最後は日本の教育の問題に突き当たることを考えれば、この会議での議論の行方に注目せざるを得ない。そこで三つの具体的な提案をしてみたい。ご批判を乞う。

まず第一に、義務教育の自由化である。そもそも初等教育とは親の責任でなすべきものだ。学校ごとに多様なカリキュラムを認め、学校に行かせる行かせないも含め、コースの選択は親の自由とするべきである。今の義務教育は均質の労働者、兵員を大量に養成することを目的として、国民国家の成立とともに制度化されたもので、わずか200 年の歴史しかない実験的なものだ。人類の偉業の大部分は義務教育がない時代に達成された。義務であり離脱を許さないからいじめも発生する(いじめは刑務所や軍隊とかの逃げ場のない環境でしか起こらないことに注意)。学校も不適切な生徒を放校する自由がないから、学級崩壊が多発し校内暴力がのさばる。

第二の提案は大学入学試験に口頭試問、論述試験を大幅に導入することだ。論理的な表現力は、国際社会で生きて行く上でまことに基本的な能力であるにかかわらず、日本人はこれを苦手とする人が多い。大学入試には含まれていないが故に、若いうちに十分な訓練が為されないのである。

三つ目に望みたいことは大学院教育の拡充である。20 世紀を通じて世界中ではっきり観察されるトレンドは、教育の高度化と高学歴化だ。今や欧米諸国はいうに及ばず発展途上国でも、高級官僚、大企業の幹部のほとんどがマスターやPhD なのである。ところがそのカウンターパートである日本の官僚、民間ビジネスマンはいまだに大部分が学士だ。肩身が狭いという以上に、議論のベース、ロジックが彼我で微妙に異なるためコミュニケーションに支障が出る場合があるのだ。国際機関に日本人職員が少ないのもこれが理由だ。グローバル時代にこれはゆゆしき問題といわざるを得ない。具体的にどうするかだが、まず手始めに国家公務員は修士号を持っていることを採用条件としてはどうか。そうなれば多くの民間大企業もそれに倣って院卒の採用を拡大して行くことになろう。大学院に入らねばならないとなると大学生も勉強するようになるだろう。

以上の三点が筆者の提案である。これに対して直ちに多くの反論が出てくることは覚悟している。一番多いご批判は「そういうやりかたは公平でない」というものだろう。しかし筆者には、必要以上に公平であろうとする関係者の異常な努力こそが、日本の教育を大きく歪めていると思えてならないのである。

(橋本尚幸)

2000年3月1日水曜日

IT 革命と総合商社

商社株が注目されている。先日テレビで“サンデープロジェクト”を見ていたら、証券会社の部長さんの3 人のうち2 人が、IT 関連銘柄として商社株を薦めていた。それに対し司会(田原総一郎氏)はいまひとつ納得のゆかない様子であった。電子商取引が進めば中間業者は中抜きされるというイメージが根強いからだろう。

IT 革命が商社に与える影響を次の三つの切り口で考えてみたい。すなわち、1 )IT 関連の新規ビジネスと商社、2 )IT 革命に伴う取引形態の変化と商社の商権の帰趨、3 )IT による商社のコスト削減、の三つである。

まず、IT 関連で生じる新規ビジネスと投資については、商社は相当に有利な位置にあると見てそう異論はないだろう。商社はこの分野で多大の先行投資を積み上げてきている。またこの分野ではアメリカが一歩先を進んでおり、日本のIT関連の新規ビジネスはアメリカなどの技術や企業がグローバルに絡んでくる場合が多い。こういったアレンジは商社の得意分野で、いわば商社のお家芸である。

つぎにIT 革命が商取引に及ぼす影響だが、これについてはいろんな見方がある。総合商社のSCM 展開は確かにめざましいものがあるが、同時に商取引の電子化で機能のない中間業者が中抜きされる可能性もあるからだ。しかし見落とされがちな点だが、商取引の電子化は商取引の全体ボリュームを飛躍的に増大させるということが重要である。つまりITで取引コストが格段に安くなることで、従来インハウスにとどまっていた多くの工程が、自然に外部化され、従来は社内取引や工場内部の仕掛品の移動であったものが、今後は企業間商取引に置き換わって行くのである。つまりIT革命は最終消費額に対する卸売取引額の比率(W/R比率)を高め、川中の商社ビジネスは逆に増えるかもしれないのである。

三つ目のポイントは、IT革命による商社のコスト削減だ。現在アメリカにおいては、伝統的な産業(自動車製造、発電機器製造、農業など)で、ITを工程管理、資材購入などに活用することで大きなコスト削減が実現されつつある。日本の商社においてもそれが期待できる。総合商社の産出/投入関係を見ると、産出品目はいわゆる「商社機能」である。投入生産要素は「お金」と「情報」、それに「人」だ。これらの生産要素がIT革命ですべて安くなりつつある。調達方法の多様化で「お金」は安くなった。「情報」についても然り。最後の「人」だが、ITによるナレッジ・マネージメント・システムが整備されれば、商社マンの生産性を格段に上昇させ、単位労働コストを大きく押し下げることが可能になる。

以上の通り、総合商社がIT革命の担い手、IT革命の受益者として将来性が期待され、商社株が買われていることは、十分根拠のあることなのである。

(橋本尚幸)

2000年2月1日火曜日

わたしの阪神大震災

六千数百人の命を奪った阪神大震災から5年。個人的にも忘れることが出来ない事件であった。ちょうどそのとき関西に用事があり、宿泊していた西宮の両親宅で地震に遭遇したのだ。寝ている上にタンスが倒れてきて、更にその上に屋根が落ちてきた。身動きがとれず、土埃と屋根の重みで息も出来ない。右足の膝から下だけは、わずかに動いたので、体を少しずつその方向にずらして行き、最後は無我夢中で一気に脱出した。抜け出たところは崩れた屋根の上で、頭上には一面の星空があった。

それから罹災者生活が始まったが、余震が続く夜中、手帳に書き付けた「死なないためには」と題するメモが残っているので紹介したい。1)タンスの下では寝ないこと。どんなことをしてもタンスは必ず倒れる。2)ボロ家には住まないこと。古い家は例外なく壊れてしまった。3)水を確保すること。食べ物なぞはなくとも三日ぐらいは平気だが、水がないと本当にどうしようもない。井戸があれば一番よい。

この三点を心に決めて、交通手段の復旧と同時に東京に帰ってきた。しかし、以来5年、ひとつも実行できていない。寝ている部屋の壁には相変わらず本棚がある。住んでいるところも古い木造住宅だ。井戸を掘ることにいたってはだれも冗談だと思って相手にしてくれない。なぜ実行に移せないでいるのか。それは経済的な問題である。タンスのない広い部屋にも、頑丈な家を建築するにも、井戸を掘るにも、たいへんなお金がかかる。日本では最も基本的な「死なない」ことが、きわめて高くつくのである。

日本の個人金融資産が1300兆円だとか、GDPは世界二位だとか、日本はえらくお金持ちの国であるかのような錯覚がある。だからODAも大盤振る舞いだ。新年の各紙の社説にも、もう経済成長を追い求めるのはやめよう、生活の質の方が大切だ、という論調が目立った。でも大部分の国民が地震ですぐ壊れるような家に住んでいて、どうしてそんなことがいえるのか。生活の質は物質的な裏付けがあってはじめて得られるものだ。ゼロ成長でもかまわないと言うには、はっきり言ってまだ十年早いのである。少子化が進み、ひ弱な若者が増え、経済成長率の低下は不可避とする議論があるが、それにも同意できない。

阪神大震災の話に戻るが、地震の直後の瓦礫のなかで、子どものような若い婦人警官がひとりで、信号機が停止した街路の交通整理をしているのを見た。怪我した家族を車に乗せた男が大声で叫びながら猛スピードで交差点に突っ込んで来るのだが彼女はいっさいひるみを見せなかった。以来、筆者は若者と女性の悪口は言わない。労働力問題は若年層と女性の就業率を上げることで十分対応できる。

(橋本尚幸)

2000年1月1日土曜日

日本文化のルーツとグローバリゼーション

日本の家庭においては、冬の人気メニューのナンバーワンはなべ物とのことで、2000年の正月はどこにも出かけず、炬燵でおなべという人も多いかもしれない。99年中は、長引く不況のなか、東海村、新幹線、H2ロケットと日本中にちょんぼが目立ち、こんなことで日本は果たして大丈夫かと、いろいろ落ち込むことも多かった一年であったが、雪見酒におでんなど突っついていると、やはり日本人に生まれて良かったと実感するのである。そこで質問。世界で最初におなべ料理を食べたのはだれだ。

この問題は意外と複雑で、調べるとどんどん時代を遡ってゆく。結局、容器としての「お鍋」を最初につくった人が世界最初の「おなべ」を食べたと考えるのが妥当との結論となるが、こうなると考古学の問題だ。いちばん古い土鍋(土器)はどこにある。意外や意外、それは日本列島であった。最近、青森県で出土した縄文土器は、放射性炭素法年代測定によると約1万6500年前と判定され、世界最古とされた。

当時の縄文人たちは、竪穴式住居のなかで、たき火のなかに縄文式土器を据え、シカやイノシシの肉、魚介類、それに根菜類やトチの実からとったでんぷんなどを入れて煮立て、みんなでふうふう言いながら食べていたのだ。これは当時の地球では最先端の食文化であった(なにせ、他所には「お鍋」がなかった)。現代日本人のほぼ半数以上は縄文人のDNAを受け継いでいることが、これまた最新の科学技術で明らかになっている。だから、おなべ料理を発明したのはやはり日本人といえるのだ。

単なるおなべの話であるが、このことはいろいろ示唆的である。日本人は昔から物まね民族といわれてきた。しかし日本人はそのルーツに核となるしっかりした文化を持っていたからこそ、外来文化を、どんどん抵抗なく受け入れることが出来たのではないか。弥生時代になり比較的少数の外来人とともに農耕技術が日本列島に伝来するが、狩猟民族であった縄文人はそれをことごとく消化し、数百年にして世界最大級の墳墓群を有する農耕型の古代文明を築き上げる。アニミズム(古代神道)に生きていた日本人は、突然に仏教を取り入れ、200年程で世界最大の鋳造仏(奈良の大仏)を建造するまでに大変身する。弓こそ命と信じていた武士たちも、ポルトガル人が鉄砲を持ち込んでからわずか30年で、日本を世界最大の鉄砲生産国にしてしまう。明治維新後の西欧文明の移入は言わずもがなだ。

背景にあったのは、いくら外国の文明を受け入れたところで、自己のアイデンティティーは絶対に傷つかないという確信でなかったか。21世紀を目前に、日本は大きな変化に直面している。グローバリゼーション、IT革命、企業経営の改革、社会改造などなど。でもやはり冬になれば、人々は昔ながらのおなべを囲む。自信を持ってグローバリゼーション対応と自己改革に臨みたい。

(橋本尚幸)